ひとこと言わせて
President’s Mutter

「日の丸」を掲げよう

ひとりごと

公開日時:2012.04.27

間もなくゴールデンウイーク、祝祭日と休日が続きます。休みは楽しいけれど、最近祝祭日に日の丸の旗を掲げるのは、近所で私の家だけになってしまい残念でたまりません。ついこの間まで、近所で旗を掲げる家が2軒ありましたが、一軒はおそば屋さんで廃業してからは掲げません。もう一軒は先代が警察関係におつとめでしたが、亡くなられてからは掲げなくなってしまいました。
10年ほど前にデンマークから取引先の社長さんご夫婦が日本に来られ、行きたいところを案内しました。お浜離宮、靖国神社、皇居と一寸変わったところのリクエストで、皇居前広場に行った時、突然その奥さんが、大きな声で「日本に来て初めて国旗をみた」と叫んで、丸の内側のビルの屋上に掲げてある日の丸を指したのです。言われてみると、デンマークのメーカーを訪問した時、工場の入り口にはデンマークの旗とその会社の旗が高々と掲げられていました。その国旗は毎日揚げるからでしょう、だいぶ痛んでいましたが、颯爽とはためいていました。アメリカの空港に着くと、そこいら中に星条旗が掲げられています。トルコに行ったときも同様で、貸しボートにまで一隻ずつどれにも小さな国旗が掲げられていました。
何百年と国を象徴する「日の丸」をわずか10年満たない戦争という悪い経験で、すべてを否定し毛嫌いするのはおかしいのではないでしょうか。あのシンプルな白地に赤い丸のデザインは、もし日本がこの日章旗をやめたら、太平洋上の島々の多くの独立国などがほしがるに違いないくらい素晴らしいデザインです。先日四国の西南端の愛南町を訪れて、その町の久良湾に墜落した紫電改という戦闘機が引き揚げられて展示されていました。その翼と胴体に日の丸が描かれておりました。この飛行機は零戦の後継機として開発され、すごい性能を持っていたそうです。知覧や加世田、大刀洗の特攻隊基地から飛び立った若い特攻隊の隊員はみな、日の丸を背負って出撃し、国のために命を落としました。特攻隊員だけでなく、戦争で亡くなった多くの方々、兵隊さんだけでなく空襲で命を落とした人達みんなが国のために亡くなり、その人達の犠牲の上に今の私たちの恵まれた生活があるのです。
勝てば官軍、負ければ賊軍といわれるように、大東亜戦争で負けた日本は、すべてを否定されていますが、国のためを思って亡くなった方々まで否定してはいけないと思います。世界中、どこの国に行っても国民は愛国心を持ち国旗を大事にしています。それは世界の常識でしょう。毎日掲げよとはいいません、せめて祭日には日本という世界中で一番幸せな国を愛し、その基礎を築いてくれた大東亜戦争で犠牲になった方々に感謝を示す意味でも日の丸をかかげようではありませんか。 皆さんホームセンターに行けば国旗は手に入ります。ぜひとも、祝祭日には感謝をこめて日の丸を掲げましょう。

タイの街道にて