ひとこと言わせて
President’s Mutter

地味ながら確実に戦後日本経済を支えてきた日本包装技術協会

業界紙掲載文

公開日時:2013.05.13

ストラパック株式会社
代表取締役 下島敏男

日本包装技術協会の設立50周年を心よりお喜び申し上げます。この過ぎし50年という歳月の早さに驚いています。私は家業が包装材料販売商であったため、中学生のころから、帰校すると家の仕事の手伝いをさせられました。長男は家業を継ぐのが常識の時代だったこともあり、大学時代は同じ家業を継ぐのであれば「包装産業の将来」を卒論のテーマにしたいと、生産性本部が招聘したアメリカの包装コンサルタント、エドワード G ギャラガ-氏の講演を聞きに行き、後にJPIの創立に力をかされた日本荷造工業の向野元生さんや産工試の福岡和雄さんのところに卒論の資料をいただきに行ったことを昨日のように思い起こします。
日本包装技術協会はその発足以前から多くの包装業界の諸先輩を中心に、日本の戦後の経済発展を影で支え、また高度成長から安定した経済への転換やひずみとしてうまれた環境問題などにも適切に対応し、アジア包装会議から世界包装機構の設立にも大きな力を注がれています。包装技術は、決して派手な存在ではありませんが、地味ながら確実に日本経済を支えてきたとおもいます。そして協会の構成会員は包装業界だけでなく包装を実際に利用する各業界の企業で構成されるので、それぞれの現場からの諸問題の解決事例が、毎月出版する機関誌「包装技術」に惜しみなく発表されとおり、これらの記事の集積は、大変貴重な財産といえるではないでしょうか。
私的な話で恐縮ですが、昭和40年の年末に、当時JPIの事務局長だった楠田洋さんがわざわざ弊社に来られ、昭和41年に行われるJPI主催の欧米包装視察団に、これからは若い人達が世界を見なければいけないと参加を勧めてくれました。この時に欧米の包装業界を自分の目で見たことによって、日本で発明され普及しはじめていた紙バンド自動梱包機の市場が、世界中に存在するという確信を得ることができました。弊社が昭和45年以来、紙バンドからPPバンドに代わった梱包機を積極的に海外にも売る努力を進めたのも、現在「ストラパック」のブランドが海外に浸透し私どもの会社が現在あるのも、日本包装技術協会様のお陰と感謝しています。
これからも、特に若い包装業界の人達に大きな刺激をあたえ、日本の産業発展に寄与され、協会の発展されますことを心より願っています。