ひとこと言わせて
President’s Mutter

業界紙寄稿1 包装機械新聞 2011/1/15掲載文

業界紙掲載文

公開日時:2011.02.18

昨年夏から毎月1回ほどこのブログを書かせてもらっていますが、今回は新年に業界紙に寄稿した拙文を転載させていただきました。いつも私の言いっぱなしですが、きっと御異論のある方がいらっしゃると思いますので、ご意見は営業企画室までお送りくださるようお願いを致します。

■忌避された「愛国心」を取り戻して日本再建を

ストラパック株式会社
代表取締役 下島敏男

あけましておめでとうございます。今年こそ我々中小企業にも景気回復の光が当たってほしいと願うものですが、ベルリンの壁崩壊以来20年を経ても、バブルの崩壊の後遺症から逃れる事ができず、追い討ちのリーマンショックと我々にはまだまだ相変わらずの苦労が続いています。

政権が交代して、過去のしがらみが断ち切られ悪しき構造が変わると期待しましたが、行っている政策は残念ながら、従来と大同小異期待は裏切られていいます。一番の問題は日本の国が抱えている基本的問題を認識しておらず、また根本的どう変えて行くのか、まったく頓珍漢な政策に終始しています。その迷走の根本は「愛国心」の欠如ではないでしょうか。

先に首相は世界の現状を認識せずに「友愛」を説きましたが、この「友愛」の精神が世界各国に認識され、ともに協調の精神がうまれるには、一世紀も二世紀もかかるでしょう。計画経済が挫折しすべての国々が自由経済に参入し、殺しあう戦争はなくなりましたが、それより過酷な経済競争に突入していることを、政府を構成する政治家は本当に認識しているのでしょうか。表面的にはきれいごとを言っても、自国の利益を追求が優先し、他国はどうなろうともかまわないという国々の中で、寝言のような事をいうような認識では日本の国が衰退するばかりです。

私は国民学校5年生のときに敗戦を迎え、それまでの教育はすべて否定され、180度違った教育を受けました。過去は全部否定され、悪い事だったといわれました。だが、昭和41年に始めて欧米に旅行し、以後欧米を始め多くの国々との商売を続ける中で、その教えられたことに間違のおおい事に気がつきました。

戦後の平和憲法の第九条があるから、もう戦争は誰も仕掛けてこないといわれて信じていましたが、40年前に初めて永世中立の国スイスに商売に行き、スイスでは会社の社長でさえ、年に一度の軍事教練に一週間に入隊しなければならない事を知りました。自分の国は自分で守るのが当たり前、スイスには陸軍、空軍、海がないのに海軍まであり、さらに周りを封鎖されても、一年間は兵糧攻めにも生き延びられるよう備蓄もされているとのことでした。基本的なこと「自分の国は自分で守る」のが当たり前なのです。平和、平和と唱えていても平和は来ません。弱いと思うと庇護するどころか付け込もうとする国々が多いことを知らなければなりません。現在、米軍によって守られていますが、変事があったときに、米国の若者の命を落とすような事は申し訳ないことではないでしょうか?65年前に不可侵条約を無視して攻め込みそのとき占領した島々を返さず、ましてや何十万人という兵隊をシベリアに抑留して、ただ働きでシベリア開発をさせ、その過酷な環境で多くの兵士がなくなったことに口をふさぎ、今ではその戦争を正当化しようと歴史の改竄をなんとも思わぬ国々が今でも世界では存在しているのです。

それと戦後忌み嫌われた言葉と精神に「愛国心」があります。どこの国にいってもその国民は自国を愛しています。隣国の中国でも、韓国でも過剰なくらい愛国心で固まっています。間違った史実を教えられての愛国心です。その間違った史実を日本人がまともに信じて、多少は是正の方向にありますが、卑下しすぎた教育をしているなどまったく信じられない事です。同じ統治下にあった台湾には韓国ほどの敵意はありません。日本が統治下に行った台湾のインフラ整備を高く評価し、中にはその工事を指揮した人の銅像とお墓までたてて命日にはお参りをしてくれる人々さえ居るのです。日本は同じようにインフラ整備を韓国にもおこないました、最近出版された「朝日新聞が報道した日韓併合の真実」や「日本統治時代を肯定的に理解する 韓国一知識人の回想」など正しい史実を見直しする気運が出てきていますが、狂信的な愛国心をもつ韓国の人にはまだまだ理解は難しいでしょう。

愛国心という言葉を忌避し、日本に愛国心のない人ばかりでは、日本の国が良くなる事などありません。愛国心という言葉をまず復権し、愛国心が大事だという事を再認識し、日本人が愛国心をもつようにしてゆくことが日本を良くすることがすべての根本ではないでしょうか。

 

台湾の荒れ地だった嘉南平野を肥沃な土地に変えた「烏山頭ダム」(右)と同地に祀られている、指揮をとって完成させた「八田与一氏の銅像とお墓」(左)(筆者撮影)