ひとこと言わせて
President’s Mutter

敗戦記念日におもう

ひとりごと

公開日時:2010.08.19

65年前の8月15日は日本が大東亜(太平洋)戦争を終結する天皇陛下の放送があった日です。
あの日、かんかん照りの暑い中、国民学校5年生の私は疎開先の栃木県鹿沼市の黒川の土手をあるいて、母の実家に重要な放送があるとのことでそれを聞きに行きました。ラジオの放送はザーザーという雑音が入っていて聞き取りにくく正直理解出来ませんでしたが、大人達の日本は負けたんだという話に、口惜しい思いをしたことを覚えています。毎日の様にB29爆撃機がもう我が物顔に日本の上空を飛んでいましたが、最後は神風が吹くからという大人の話を信じて、日本が負けたなんて信じることが出来ませんでした。

先日九州のユーザーさんを訪問したおり、その近所に昨年10月にオープンした、大刀洗平和記念館を見学しました。内容は知覧の特攻平和会館や南さつま市加世田の万世特攻平和祈念館と同様に、陸軍の特攻隊の基地だったそうですが、ここが戦時中は陸軍飛行学校の本校で、知覧、加世田は分校だったそうです。本格的に飛行機が飛ぶようになった大正時代からの飛行場であり、戦時中は航空機の製造工場もあったそうで、米軍の重要爆撃目標にされました。展示は特攻隊に関する資料だけでなく,飛行場の歴史や,ゼロ戦の現物もありますが、昭和20年3月にB29に爆撃されて飛行場や工場が壊滅し,同時に国民学校の子ども達も大勢爆撃で亡くなったことも展示されていました。

日本の戦争に関する記念館に共通していることは、非常にマイルドで、ことのほか被害を強調したり,加害者を非難するようなことは表に出していないように思います。以前デンマークのお客様を広島の広島平和祈念資料館に案内したとき、展示が非常にフェアーであるという感想を漏らしていました。

今の日本は幸せを感じられないことが、不幸と言えるかもしれませんが、戦争中を知る私どもには、もっともっとあの戦争で犠牲になった人々に感謝をしなければいけないと感じています。戦争の悲惨さは云うまでもありませんが、それだけにとらわれて戦争を語るべきではないと思います。何故日本が戦争をしなければならなかったかなども理解し、現在の環境ではなく、65年前の環境に身をおいて判断し,語らなければならないと思っています。今の状況から批判することは軽率ではないかと思っています。今の幸せはあのとき犠牲になった人々のお陰で今があることを忘れてはなりません。

いずれにせよ、戦争で亡くなった人々に感謝しなければならないと思います。私は大刀洗平和記念館でも、知覧、加世田、また靖国神社でも、戦争で犠牲になった人々に素直に感謝し平和を願っています。来月沖縄に行きますが、ひめゆりの塔や、健児の塔、それに白梅の塔(ひめゆりの塔は沖縄第一高等女学校、ここは第二高等女学校の犠牲者を祭る)にもお参りをしたいと思っています。

今年の8月15日は65年前と同じようなかんかん照りの暑い日でした。靖国神社の境内には喪服やフォーマルな服装の参拝者にまじって、Tシャツなどラフですが、若い人たちも30分近く参拝のために列を作って並んでおり、ことのほか若い人々の多いのを大変嬉しく感じました。