ひとこと言わせて
President’s Mutter

自己責任が失われる風潮を憂う

ひとりごと

公開日時:2010.11.02

東京パックに来日されたオランダとデンマークのメーカーの社長さんと会食をした席で、日本での道路工事や建設現場に、危険防止の柵や警告表示がなされているが、それに加えて必ずガードマンが誘導灯を振って歩行者や通行の車両の誘導をしている。このガードマンの存在が外国の人には奇異に感じるという。さらに加えてなんでそんな無駄な人に経費をかけるのかといわれた。この事だけでなく、最近気になる傾向に、日本人は自己責任の精神と、自分の体や五感で判断する力や、自己管理という精神を失ってしまったように感じてならない。オランダは海を埋めて作られた国で、アムステルダムのスキポール空港は海抜マイナス3メートルにあるというが、その郊外を車で走ると、運河や河が四方八方にあって、その運河すれすれにそって道がある。だが、その道と運河の間にガードレールなどほとんど存在しない。河に落ちるのは運転者の責任、道路管理者の責任ではない。またオランダの子供は小学校に入学すると、服を着たまま運河に飛び込んで、自分で這い上がる練習をするという。以前、回転ドアーで事故があったが、設置しているビルの責任だけ大きく問われて、本来の親の躾についてはほとんど問題にされていなかった。おかげで最近のビルの回転ドアーのスピードが遅くすぐに止まってしまいイライラする事が多い。知り合いの人の話だが、娘さんが卵を割った後、殻にある賞味期限をみて、期限が過ぎているからと捨てようとしたという。本来卵が腐っているかどうかは、割った瞬間にその黄身の盛り上がり方でわかる。悪くなっていれば黄身はつぶれてべチャッとしている。現在は冷蔵庫がどこの家庭でも普及して、食品が腐るという事はほとんどなくなった。だが発展途上国に行くと、そうは行かない。出てきた皿をナプキンで拭いて使うし、屋台で食べなければならないときは、その料理を食べて食中毒にかかるかどうかを自分で判断しなければならない。日本においてはあらゆることが親切にきめ細かく衛生的に出来上がっている。それが当たり前となり、もし何か問題がおきると、自分は悪くなくてすべてメーカーや管理者の落ち度を追及してなんとか補償を取ろうとする傾向が強くなってはいないだろうか。この良からぬ傾向はますます激しくなってきて、供給メーカーはあらゆることに神経質になっている。表示の文字がちょっと欠けているだけで、中身がすべて返品になるというケースもあるという。モンスターペアレントの出現はその最たるものではないだろうか。

私の知り合いで、不幸にして娘さんが中国で飛行機事故でなくなられた方がおられ、その事故の処理に、日本では考えられない扱いを受け、泣き寝入りに近い結果になったという。ボーダレスの時代になり、発展途上の国々とのかかわりも多くなる。またそれらの国々に行く機会も多くなろう。すでに発展が終わっている、先進諸国でも治安がわるい国もあるから、日本以外では常に被害や災難にあわないように細心の注意を払わなければならない。

国によっては、「騙す人より騙される人が悪い」という国もある。それこそ、「人を見たら泥棒と思え」の諺が生きている。日本はすべてに親切すぎるほど、あらゆることにうまくシステムが完成している。日本にいると気がつかないが、日本以外の国々ではすべてことについては自己責任であり、自己管理をしなければならず、身体や健康は自分で考え判断して安全を保ってゆかなければならない。今の日本で、問題がおきると、悪いのは自分でなくて他人にあるという考えや風潮を是正するにはどうしたらよいのだろうか?

写真はイタリアの古都アッシジ市街の工事現場
アテネのショッピング通りの工事はノーケア